Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2015年1月14日水曜日

「アラブの春」の批判的言説分析(CDA)


研究法の講義で発表したものを備忘録として残しておきます。
ある意味メモなので、体系だった論考となっているわけではないので悪しからず。

批判的言説分析で参考テクストとしたのはNorman Faircloughの"Critical Discourse Analysis as a Method in Social Scientific Research"。

<Analytical Framework for CDA>として挙げられている主な手続きとしては、

1. Focus upon a social problem which has a semiotic aspect.
2. Identify obstacles to it being tackled, through analysis of 
 a. the network of practices it is located within
 b. the relationship of semiosis to other elements within the particular practice(s) concerned
 c. the discourse (the semiosis itself)
  ・structural analysis: the order of discourse
  ・interactional analysis
  ・interdiscursive analysis
  ・linguistic and semiotic analysis
3. Consider whether the social order (network of practices) in a sense 'needs' the problem.
4. Identify possible ways past the obstacles
5. Reflect critically on the analysis (1-4)

以下、内容。
***************************************************************************
「アラブの春」というキーワードが想起させるのは言うまでもなく、1968年の「プラハの春」である。社会主義の統制下にあったチェコの人たちが、西側資本主義社会のような自由主義、民主主義を求めて立ち上がったのと同じように、アラブの人たちも独裁から民主化を求めたに違いないという断定が背景にあったのだと思われる。より踏み込んでいえば、民主主義を拡大させる戦略的フレーミングとして「アラブの春」という命名がなされたのかもしれない。
(Cf. 「アラブの春」という用語は西側の構築物であり、アラブの人々は自身で「アラブの春」という呼称は用いない。あくまでも“革命” “反抗” “ルネッサンス”などの用語が用いられる。'Arab Spring Facts You Should Know' Middle East Voices, 2011 Nov. 14)

(「諸国民の春 1848」「プラハの春 1969」「アラブの春 2010」)
ヨーロッパ産のデモクラシーのメタファーがなぜアラブに適用されるのか?
プラハは気候的に寒い、対してアラブは常に暑い。フレーミングには無理がある?
(Cf. 「アラブの春」の端緒となったとされるチュニジアでの「ジャスミン革命」のキッカケとなった野菜商の青年の焼身自殺のわずか二日後、ジャーナリストのMark Lynchは『Foreign Policy』で‘Obama’s Arab Spring?‘という記事を書いている。)

2003年にブッシュ政権がイラクを軍事攻撃し、長期にわたって独裁を敷いていたフセイン政権を倒した背景には、「イラクに民主主義を導入して、中東全体を民主化するキッカケにしたい」という考えがあった。ゆえにチュニジアでのジャスミン革命を端緒に中東で革命が起きると、「イラク戦争に刺激を受けて、他のアラブ諸国も民主化に向けて立ち上がったのだ」と政府関係者は言った。
2005年、当時のライス国務長官は、「これでアラブにも春が近い」などという予言めいたことを言った。
(Cf. 酒井啓子『中東から世界が見える――イラク戦争から「アラブの春」へ』(岩波書店、2014年)20-23頁)
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「春」の政治的な含蓄に関する定義は見当たらないが、政治的文脈における「春」とは市民が政府によって弾圧される暗い時代(冬)が終焉し、暖かで明るい未来を予感させるようになるという意味ではないか。

共通項となりそうなものとしては、
①人民の抗議運動
②体制打倒
③他地域への伝播
ただし、問題となるのは当該国内の市民がというよりも、国外のアウトサイダーからみて「春」に映るのであって、当事者たちにとっては新たなる混沌のはじまりかもしれないということ。
フセイン政権がアメリカの介入によって転覆されたあとに国内情勢が泥沼化したことや、現在のエジプトの状況を鑑みると、アウトサイダーである国家の楽観視とは裏腹に事態は悪化することがある。 

そもそも『アラブの春』なんて呼称をつけたのが、間違いだったのだ。共産党支配に反対して民主化運動を起こした68年の『プラハの春』が、結局はソ連の軍事介入で潰されたように、『春』は、失敗とその後の20年近くの厳冬を想起させる。<中略>『アラブの春』が『春』として世界にインパクトを与えたのは、それが普通の若者たちが素朴で純粋な不満を掲げて集まり、エリートたちが独占する政治経済の中枢の、『外』から物事を動かそうとしたからだ。その新たな運動は、再び古いタイプの権力抗争と派閥の駆け引きに取って代わられて政治ゲームの外に放り出されるのか、それとも新しい政治へと続く道を準備して、これまでの悲しい『春』のイメージを払拭できるのか」
(酒井啓子「エジプト再燃:「春」は続かないのか」中東徒然日記、2011年11月23日より)

※「諸国民の春」「プラハの春」「アラブの春」3つの事例全てで、当初抱かれた期待とは反して自体は悪化していったのは偶然の一致か。

仮説1: 共通の敵(独裁者)を打倒したあと、それぞれの立場が異なりすぎて(アラブの春:リベラル志向、宗教勢力、軍部)一枚岩になれずに目指す社会が確定できない。諸国民の春でいえば、リベラル志向↔(弱体化しつつあったが)キリスト教勢力、軍部↔社会主義勢力。この膠着状態は戦争(外敵)人種(ユダヤ)という新しい共通の敵を設定することでひとまず切り抜けられた。現代の国際社会にあっては、そうした敵の再設定は難しい。 

「春」という西側のラベリング(貼り付け行為)に対して、SNS/マスそれぞれでアラブの人々はどうリアクション(反応)、カウンター(反抗)、無視したのか。Cf. シンボリック相互作用論(Symbolic Interactionalism)
→また、そういったラベリング行為の背後にある戦略、意図、動因はなにか。
・その言葉が使われるメディア(3 つの事例は時代背景が異なる。優勢のメディアも全て異なる。 
・フレームを使う主体(「アラブの春」であれば、当事者であるアラブの人なのか、西欧のアウトサイダーなのか) 
・使われる文脈、表象のされ方㱺埋め込まれた意味の抽出(「プラハの春」であれば、時代背景に“冷戦”があった。
(Cf. 「東欧諸国の国民が求めたものは、政治的自由とその結果としての豊かな社会であった。目指すべき、新たな体制の明確なビジョンがすぐ西隣の西欧諸国に広がっていた。あとは、その理想モデルに従って突き進めばよかったのである。一方のアラブ諸国は状況が全く異なる。もちろん、東欧諸国同様、政治的自由と豊かな社会もアラブの大衆が求めたものであったが、彼らが真に欲したものを一言でいうならば『公正な社会』であった」
(鈴木恵美『エジプト革命- 軍とムスリム同胞団、そして若者たち』(中央公論新社、2013年)
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→「アラブの春」と「プラハの春」は本質的に異なるものである。
アラブの春はチュニジアのジャスミン革命に端を発した運動で、それまで軍事独裁政権が主流だったアラブ諸国に圧政的政府の転覆の波が訪れ民衆による政府交代が進んだことを指す。一方プラハの春とは、旧チェコスロバキアで起こったチェコスロバキア共産党による共産主義改革とソ連による弾圧とその結果の総称。チェコスロバキアの共産党が綱紀粛正と言論弾圧を緩和することで社会主義体制の維持を図ろうとしたところ、ソ連が軍を投入してチェコスロバキアに軍事介入、多くのプラハ市民が虐殺された。しかし改革を否定し従来の一党独裁体制を維持しようとするこの軍事介入によってソ連は逆に共産主義への信頼や羨望が消失しソ連の、そして共産主義崩壊へと続く伏線になった。

→例えば、「プラハの春」でいかに“春”という言葉が受容されていったか、そのプロセス。Cf. プリントメディア(諸国民の春)→マスメディア(プラハの春)→ソーシャルメディア(アラブの春) ↔ナショナリズムの語りの枠組みが俗語革命、出版技術→情報化/デジタル化⇒複製の仕方の変化というように大きな枠で捉えることも可能?
Ex. たとえばユーゴの紛争報道など。 

「アラブの春」という言葉の出自は諸説あるが、ここでは2005年のイラクで民主化の萌芽が一時見られたときにSeattle Timesにおいてこの言葉を用いた保守派評論家のものをテクストに選んだ。

TEXT1: Charles Krauthammer ‘The Arab Spring of 2005- The democracy project is, of course, just beginning.’ The Seattle Times, March 2005

全文をここに転載することはできないので、上記リンクを参照いただきたい。
エッセンスとしては、
Text1は2005年に一時、中東で民主化の機運が高まった頃に書かれたものである。この当時、既に「諸国民の春 1848」や「プラハの春 1968」への対比が見られる。(第二段落冒頭)
(第四段落)では「自由 freedom」という言葉が挙げられ、西欧諸国(特にアメリカ)の価値観のはめ込みがみられる。(そもそもタイトルとして“The Democracy Project”と掲げられていることに注目したい)。(第七段落)では「スペイン内戦 1936」を例に挙げ、「自由 freedom」と「human rights 人権」への希求の同位性を挙げる。

TEXT2には対照的なものを選んだ。
現地で調査を行い、「アラブの春」という言葉に批判的な研究者のものだ。
(「アラブの春」の研究を行う場合、著書や記事が誰によって書かれたのかを精査することは非常に重要だ。eg. 国籍、エスニシティ、バックグラウンドなど)

TEXT2: Maytha Alhassen ‘Please Reconsider the Term "Arab Spring"’ The World Post, February 2012

「アラブの春」という革命への呼称が西側によってなされたことを自己認識しながら、それを批判的に吟味し直すことを提議した、革命から約2年後の2012年に書かれた記事である。現地の学者やメディアは当初から用語への批判的な態度を表していたことを示唆。「アラブの春」という用語は虚構であり、アラブの人が本来求めていたものは民主化ではなく、人間の尊厳であったという。(第一段落)
当初は筆者もそのキャッチーさから「アラブの春」という呼称を用いていたが、現地での調査を通じ、その用語の限界に気づき、「尊厳の革命 dignity=karama revolution」という言葉を使うようになった。広域に波及した革命で、唯一一貫して共通項となっていたのが「尊厳 karama=dignity」だったという。そしてこの革命にはチェルケス人やクルド人などアラブ地域以外の人も参加していたことを忘れないようにとの注意を喚起する。(第二段落最終)
UCLAの歴史学教授 James Gelvinによると、政治的な意味の“春”が含意するのは、一時的な自由への希望の後の挫折=冬だという。(プラハの春等)実際に「アラブの春」という用語が使われ始めた2005年のイラクでの運動の後、すぐに収束してしまったことが思い出される。
(第五段落)The Economistは一貫して“Arab Awakening アラブの目覚め”という用語を使い続けてきたという。背景には独裁への惰眠から目覚め、人々は民主主義へと向かうだろうという観測がみられる。
(第七段落)筆者のMENA諸国での現地調査を通して、アラブの現地民はチュニジアの「ジャスミン革命」という呼称にも嫌悪感を抱いているらしい。 VJ Um AmelのFacebookやTwitterなどのソーシャルメディアの研究の結果わかったのは、現地の人が革命の呼称に使っている言葉は karama, thawra and haqooq (dignity, revolution and rights)ということだった。
最終段落において、「アラブの春」という西側の構築物に対して、あくまでそれはアウトサイダーからみた視点からなされる呼称であり、当事者性に欠けるという批判を加えている。「MENAで起こっている革命は単なる民主化運動ではなく、より根源的な人間の尊厳を求めた蜂起」であるという主張が冒頭より繰り返される。

二つのテクストを並列させて分かることは、「アラブの春」という言葉を巡って、言説的な衝突が起きているということ。
事象の研究に向かう際は、「アラブの春」というフレームの内にあるのか、フレームを外すのかに自覚的になれねばならないという教訓が得られた。

Appendixとして、以下は「春」が政治的な意味合いで使われた事象の一覧である。(Wikipediaを参考に和訳した)
<政治的意味合いで「春」が使われる事象一覧>
・「諸国民の春」(Spring of Nations):1848年革命とも。ヨーロッパ各地で起こった革命。これをうけ、ウィーン体制は事実上の崩壊へと突き進んだ。
・「クロアチアの春」(Croatian Spring):1970年代初頭に起こった政治運動。民主的、経済的改革を要求し、ユーゴスラビアにおけるクロアチアの権利の拡大を図った。
・「プラハの春」(Prague Spring):1960年代後半にチェコスロバキアで起きた政治自由化運動。
・「北京の春」(Beijing Spring):1978年頃から1979年3月まで展開された壁新聞による中国民主化運動。
・「ソウルの春」(Seoul Spring):1979年10月26日、韓国大統領の朴正煕が暗殺された10・26事件(朴正煕暗殺事件)の直後から翌1980年5月17日の非常戒厳令拡大措置までの民主化ムードが漂った政治的過度期を指す。
・「ハラレの春」(Harare Spring):ジンバブエでモーガン・ツァンギライとロバート・ムガベの間で共同統治の協定が結ばれた期間を指す場合に使われた。
・「カトマンズの春」(Kathmandu Spring):ジャナ・アンドランと呼ばれる1990年代にネパールで起きた民主化運動を指すことがある。
・「ヤンゴンの春」(Rangoon Spring):8888民主化運動に続くまでの期間を表す言葉として使われることがある。
・「リヤドの春」(Riyadh Spring):サウジアラビアの2000年代前半の期間を指す場合がある。
・「ダマスカスの春」(Damascus Spring):2001年のハーフィズ・アル=アサドの死のあと、一時言われた期間。
・「杉の革命」(Cedar Spring):レバノン(特に、ベイルート)を中心に、2005年2月14日のラフィーク・ハリーリー前首相暗殺によって発生した一連のデモ活動、市民活動。
・「アラブの春」(Arab Spring):2010年から2012年にかけてアラブ世界において発生した、大規模反政府デモや抗議活動を主とした騒乱の総称。2010年12月18日に始まったチュニジアでの暴動によるジャスミン革命から、アラブ世界に波及した。
・「カエデの春」(Maple Spring):2012年のケベック学生運動の別称。  
・「バレンシアの春」(Valencian Spring):2012年にスペイン・バレンシアで起こった学生運動の別称。
・「ロシアの春」(Russian Spring):2014年現在の親ロシア派のウクライナにおける衝突を表す言葉として使われることがある。

<考察>
基本的にはアメリカを中心とした西側諸国がメディアを通じ、政治運動を「春」というフレームに落とし込むことで、戦略的に民主化の方向へ導いたのではないか。
内部の当事者がある意味、戦略的に「春」に乗っかることで国際社会の注目を集め、問題を前景化させた例もあるかもしれない。

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