Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2014年1月20日月曜日

2013年に読んだ250冊から選ぶ10冊のブックレビュー


新年あけまして、おめでとうございます。(今更ですが)
今回は、昨年に読んだ本から10冊ピックアップして、自分自身で振り返りつつ、ご紹介したいと思います。
新しい本を読む度にブログに書くとキリがないので、このように機会をみながら、まとめて紹介というか、キュレーションする方が効率が良いと思います。
(ですが、タイミングや、ぜひブログに書き残しておきたい場合は今まで通りに書きます)
くわえてどの本が自分にとって有益な血肉となったのかは、ある程度の時間を置かなくては分からないものです。(もちろん1年はそれでも短いのですが...)

さて、ログの方をみると昨年は250冊余りの読書をしました。
基本的にはブクログにメモや読書歴を書き残していますが、すべてという訳ではありません。

ではさっそく振り返りを。(尚、紹介する順序にとくに優劣はありません)

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1. 『昨日までの世界―文明の源流と人類の未来』(上・下)ジャレド・ダイアモンド著

昨日までの世界(上)―文明の源流と人類の未来昨日までの世界(下)―文明の源流と人類の未来

いままで基本的にジャレド・ダイアモンドの本はフォローしています。
いわゆる「ビッグヒストリー」の本で、局所的限定的な歴史本ではないので、人類学的視座から歴史を見通すことができ、マクロな歴史観を得られます。
ダイヤモンド博士が長年の人類学的フィールド・ワークから導出した一つの帰結は、以下の言及箇所から引き出せます。
食料とセックスでは、どちらのほうがより重要であるか。この問いについての答えは、シリオノ族と西洋人とでは全く逆である。シリオノ族は、とにかく食料が一番であり、セックスはしたいときにできることであり、空腹の埋め合わせにすぎない。われわれ西洋人にとって最大の関心事はセックスであり、食料は食べたい時に食べられるものであり、食べることは性的欲求不満の埋め合わせに過ぎない。
普遍的と思われる価値観も時代や場所で変わります。
突飛な話になりそうですが、これを無理やり敷衍すると、ニーチェも同じことを主張していたと思うのです。
彼が絶対価値の転覆を挑んだのは、当時(そして尚、今も強い影響力を持つ)キリスト教を始めとする、人の拠り所となる宗教でした。その他、もろもろの確信的疑念を投げかけました。

なおこの本については、昨年7月のブログで取り上げました⇒読書『昨日までの世界―文明の源流と人類の未来』(上・下)ジャレド・ダイアモンド著

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2. 『(株) 貧困大国アメリカ』堤未果著

(株)貧困大国アメリカ (岩波新書)

手軽だということもあり、新書も多量に読むのですが、昨年(2013年)に限っていえば、この本が僕的新書大賞です。
スティグリッツの一連の著作をはじめ、グローバル資本主義の悪弊や、それに真っ先に罹患し、格差が社会を巣食うアメリカ。
その内実をとことんまで抉った今著。
この本も昨年7月にブログで取り上げました。⇒読書『(株)貧困大国アメリカ』堤未果著
このエントリーから自分の感想の一部をいちおう引用
グローバル規模で資本主義が暴走していく中で、誰に「責任」を帰すこともできない。一度、この論理が作動して世界を覆っていく中で、国家なき「帝国化」とでもいえる様相が成立していく。軍産複合体、農業複合体、コングロマリット化は収まらない。とくに今著でも詳細にわたって、触れられている「強い農業」の錦の御旗の元に進められたアメリカにおける大規模農業が直面している問題群。たとえば養鶏業者の「デッドトラップ(借金の罠)。これは一つに収まり切らない数多くの問題が複合的に絡まり合いながら、存立している。
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3. 『ある広告人の告白』ディヴィッド・オグルヴィ著


ある広告人の告白[新版]

国境を問わず、世界のアドマンの間で読み継がれるディヴィッド・オグルヴィの自伝的広告マンの指南書。
書かれたのが大分昔ということもあって、題材自体は古いのですが、彼の怜悧な視点は本質的なもので通時的に当てはまる指摘が多い。

この本のなかなかパラパラとよく聞く箴言が散見されるのですが、ひとつ引いておくと、これもよく聞く言葉ですよね。
犬を飼っているのに自分で吠える奴がいるか?
ようは代理店の取り巻きに対しての言葉なのですが、クリエイティブな面をして広告会社の敵になるなということでして。
たとえばこれの実例をあげると、今月公開になった若手アドマンを描いた映画『ジャッジ!』のトレーラーにまさしくというところがありました。



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4. 『イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」』安宅和人著
イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

2013年は時流に乗っかる形で、思いがけずマッキンゼー関連本を読むことが多かったです。
その中でも群を抜いて有益だったのがこの本。
「知的生産」や「思考法」を扱った本は梅棹忠夫さんの『知的生産の技術』や外山滋比古さんの『思考の整理学』などこれまでずっと読み継がれてきたものもあります。
"新旧"と言い切るのも憚られますが、今著はコンサルタントという思考のフレームワークを扱うプロが執筆した本ということもあり、新しい知見がふんだんに詰め込まれてます。


あとは安宅さんの専門が脳神経科学にあるということで、そちらからアプリカブルな思考法もいくつか紹介されてます、たとえば....
「情報をつなげることが記憶に変わる」⇒「理解することのことの本質は既知の2つ以上の情報をつなげること」を説明する項で、
マイクロレベルの神経間のつなぎ、すなわちシナプスに由来する特性として「つなぎを何度も使うとつながりが強くなる」ことが知られている。たとえてみれば、紙を何度も折ると、折れ線がどんどんはっきりしてくることに似ている。(Cf. 「ヘッブの法則」)
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5. 『なめらかな社会とその敵』鈴木健著

なめらかな社会とその敵

勁草書房という、わりと固めな出版社から出された、わりと難度の高い書でありながら、昨年、読書会で話題をさらった鈴木健さんの『なめらかな社会とその敵』。
タイトルは言わずもがな、カール・ポパーの『開かれた社会とその敵』から。

開かれた社会とその敵 第1部 プラトンの呪文開かれた社会とその敵
カール・ライムント・ポパー,内田 詔夫,小河原 誠

未来社
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昨年3月にこのブログでも取り上げました⇒読書『なめらかな社会とその敵』鈴木健著
そこから要諦というか感想というかを抜粋。
「なめらかな社会」が近代をアップデートするという確信の元、PICSYや分人民主主義・構成的社会契約論など、古くから受け継がれてきた諸思想・諸概念(貨幣論、間接民主主義、社会契約論)のアップデートを図りつつ、一つの大きな命題へと収斂させていく。 
「理系」・「文系」という狭隘なマインドを超越した筆者の知性と情熱は、人類の叡智が学際的に集積されていくプロセスをダイナミックに描き出す。
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6. 『カラマーゾフの兄弟』フョードル・ドストエフスキー著

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫)カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)

きっと生涯でもっとも影響を受けた1冊の一つとなるであろう小説。
きっとこれまでも、これからもぼくと同じような人はたくさんいるであろう時代を超えた不朽の名作。

昨年3月にブログで取り上げました。⇒読書『カラマーゾフの兄弟』ドストエフスキー著
そこから感想と所感を引用。
本の世界に自我を忘れ、没入して、読了後にすっかり心に風穴が空いたかのような感覚を覚えるのは、おそらく数年に一度あるかないか。認知の限界を越えた世界を覆う幾つもの疑問。それらを振動させて、価値観が根底からぐらつくような予感。中学三年生のときに、村上春樹の『ノルウェイの森』をはじめて読んだ時に、全身から揺さぶられたとき以来の感覚。(質的な性質は違いますが)
嬰児から信仰の中で育ってしまえば、かなり強固な信仰心が根を張ると思うのですが、『カラマーゾフの兄弟』を読んでから信仰心を身につけようと思うと、少し難しくなるのではないかと、それほどまでに「信仰」とは「赦し」とはなんなのか深く考えさせられる。 
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7. 『プラグマティズムの思想』魚津郁夫著

プラグマティズムの思想 (ちくま学芸文庫)

当時、院試の勉強をゴリゴリしてたのですが、その中にあって、休憩中に軽い、だけど有益な本と思って、手に取ったのが魚津郁夫さんの『プラグマティズムの思想』でした。
学問領域を問わず、その影響を及ぼしているプラグマティズムという思想潮流。
なんとなく断片的な知識はもっていても、どこかまとまりがない。
そんな「体系性」をもとめる人には必読かと。
ジェイムズ、パース「記号論」、ミード「自我論」、デューイ「道具主義」、モリス、クワイン、そしてその知の潮流がローティまで流れ込んでくる。
この一連の流れが過不足なく把握できる。とっても丁寧な筆致に沿って。

そもそも「プラグマティズム」っていうのは、
プラグマティズムの特徴は、思考を行動(もしくは行為)およびその結果との関連においてとらえる点にある。
思考とは、それにもとづいて行動できる信念を形成するプロセスであり、信念は行動への前段階であった。 
ジェイムズの思索の背骨にあるのは当然「プラグマティズム」に他ならないと思われるのですが、僕がとりわけ興味深く思ったのがそんな彼の宗教観です。
そもそも宗教とは「私たちは、宗教をこういう意味に理解したい。すなわち宗教とは、孤独の状態にある個々の人間が、たとえなんであれ、自分が神的な存在と考えるものと関係していることをさとるかぎりにおいて生じる感情、行為、経験である、と」(『宗教的経験の諸相』 )
この本に関しては、たしかブログで取り上げなかったので、一応メモを付記。 

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8. 『沈黙』遠藤周作著

沈黙 (新潮文庫)

インドでの瞑想修行の旅を終え、日本へ帰る機内で読んだ一冊。
6つ目に紹介した『カラマーゾフの兄弟』と対照的に、徹底的に生を超えて"信仰"を貫き通す宣教師の話。

再び自分の中で揺らぎ生じる。"赦し"とは何か、"信仰"とはなにか。
無限に広がる宗教という世界の広さを再び思い知らされる。浅はかな自分を知る。
とりわけ、孤絶な修行生活のあとで空っぽになってたからこそ、再び自分の立ち位置を相対化することができた。

ちなみにアメリカで映画化の話が進んでいるそうなので、そちらもすごく楽しみしてます。 


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9. 『ワーク・シフト―孤独と貧困から自由になる働き方の未来図<2025>』リンダ・グラットン著

ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉

多くの人が年間ブックレビューで選んでいた今著。
どの国の人が読んでも有用な、新しい労働観がふんだんに詰め込まれているわけですが、とりわけ、知識集約型労働が進んだ先進国民のホワイトカラー層は必読かと思われます。

このブログでこの本を直接は取り上げませんでしたが、翻訳記事「今、もっとも将来性ある10の大学の学部とは」の後記で触れています。

向こう数十年の世界を形作る5つの要因として、

1. テクノロジーの進化
2. グローバル化の進展
3. 人口構成の変化と長寿化
4. 社会の変化
5. エネルギー・環境問題の深刻化

を挙げた上で、それぞれについて詳述していくわけですが、じっさいどうすべきか。
あらゆることを無難にそつなくこなすゼネラリストよりも、短期集中でスペシャリティを育み、また次のスペシャリティへとスライドさせていく「連続スペシャリスト」になることを奨励しています。

どうしても一つの環境に身を置いていると、マクロの世界の地殻変動に気づきにくくなってしまう。それをグラットン氏は「ゆでガエル」のわかり易い喩え話で説明しています。
煮えたぎるお湯の中にカエルを放り込めば、あまりの熱さにカエルはすぐ鍋の外に飛び出す。では、カエルを冷たい水の入った鍋に入れて、ゆっくり加熱していくと、どうなるか。カエルはお湯の熱さに慣れて、逃げようとしない。しかし、しまいには生きたままゆで上がって死ぬ。鍋の中のカエルと同じように、私たちは仕事の世界で「気づかないうちに積み重なる既成事実」に慣らされてはいないか。
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10. 『森の生活 ウォールデン』(上・下)ヘンリー・デイヴィッド・ソロー著

森の生活〈上〉ウォールデン (岩波文庫)森の生活〈下〉ウォールデン (岩波文庫)

最後に紹介したいのが、H・D・ソローの『森の生活』。
喧騒を離れ、ウォールデンの森に小さな小屋を自ら拵え、一人孤独のうちに生活を送る中で、紡ぎ出された彼の思索が日記と共にまとめられています。

そもそも電気もガスもない、都会人からすれば圧倒的に不便に映る森でなぜ彼はわざわざ生活をしようと考えたのか。
私が森へ行ったのは、思慮深く生き、人生の本質的な事実のみに直面し、人生が教えてくれるものを自分が学び取れるかどうか確かめてみたかったからであり、死ぬときになって、自分が生きてはいなかったことを発見するようなはめにおちいりたくなかったからである。人生とはいえないような人生は生きたくなかった。
これはぼくがインドへ行こうと思い立った気持ちと通底するものがあります。
迷子になってはじめて、つまりこの世界を見失ってはじめて、われわれは自己を発見しはじめるのであり、また、われわれの置かれた位置や、われわれと世界との関係の無限のひろがりを認識するようにもなるのである。
インド修行から、東大に受かるまで」というエントリーの中でこんなことを書きました。
あまりにも多すぎて、見えにくくなっていること。「すべてを投げ捨てて、それでも残るもの」をみきわめること。
今から考えると、ソローの以下の言葉とまったくその通りに共振している気がしてならないのです。
私にはほんとうの豊かさが味わえる貧しさを与えてほしいものだ。
本当の豊かさに、物質的な富はどれほど本質的に必要なものなのか。

最後に、いささか尊大だけど、力強さみなぎる彼の文章を
汝の視力を内部に向けよ。やがてそこには、いまだ発見されざる、千もの領域が見つかるだろう。その世界を経巡り、身近な宇宙地理学の最高権威者となれ。
己と対話するため、孤絶と対峙するため、この言葉を身体で経験するため、瞑想に行ったのでした。 
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このように一年間経ったうえで、読書遍歴を振り返ると面白いことが分かります。
読書とは流動的かつ動的な体験であるということ。
置かれた状況や、自分が置かれた立場で、本の中の言葉の輝度が変わる。
心に響く言葉は常に絶え間なく動いている。
なにげなく読み飛ばしてしまう言葉も、立ち止まって噛み締めたくなる言葉も、"イマの自分"次第で変転する。
言葉で行動が変わり、行動で言葉が変わっていく。
去年の12月に「本を読むということは、"ヴィークル"に乗り込み、旅にでるということ」に書いたように、物理的ではない旅を届けてくれる。
旅を通して世界の見方が変わったり、狭隘な価値観が拡張されるように、まったく同じことが読書を通して自分を変えていく。

2014年もたくさん言葉を飲み込んでいきたい。




読書考―「本を読む」ということについて本気で考えてみる

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