Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2013年9月16日月曜日

「半沢直樹」にまつわる毀誉褒貶


さきほど録画しておいた本日放送の第9回を観ました。
展開としてはいつも通り前半は窮地、絶体絶命、そして後半は怒涛の盛り返し。(いわゆる「倍返し」)

地下室に隠蔵していたとみられる「疎開資料」を金融庁の目から欺き、事無きを得た半沢に対し、渡真利が言った「魔法か?笑」良かったですねー。
「灯台下暗し」の二重化。

今月のはじめに書いた「自己啓発ドラマとしての「半沢直樹」」では触れなかったのですが、けっこう批判的というか冷めた感想も散見されます。
たとえば藤沢数希さんが「半沢直樹の何が面白いかわからない」という記事を書いていたり。(まあドラマなんて当該の分野で実際に仕事している人からしたら絵空事に映るのでしょうが)
その辺の事情を斟酌した上で、包括的かつ興味深かった記事がプレジデント・オンラインの「心理診断「半沢直樹」でスカッとする人はなぜ二流か?」。

でも思うんですが、みんなが「キャーキャー」一喜一憂している中、冷めたように斬り捨てるのはある意味で容易だし、ビューを集めることでしょう。
別に褒めちぎるのではもなく、disり倒すのでもなく、事実として驚異的な視聴率を叩き出していることを認め、なにがマスを焚きつける導火線となっているのか、その要因を探る方がよっぽど建設的だと思います。
そのためにはドラマの脚色性を糾弾するより、虚心坦懐に感動・共感する落とし所を敏感に感じ取ることが大切ではないのかということ。
群盲象を撫ず」とは言いますが、それを指摘した悦に浸るのではなく、そこから一歩思考のセンサーをもっと深部へと働かせ、その動因を沈思し、人間に(少なくとも"マス"に)宿る普遍性を探る方がよっぽど生産的かと思います。

たとえば視聴者は様々な職層の人がいるとは思いますが、どこかで大勢順応に反旗を翻し、サラリーマン=(雇われの身)でありながらも「矜持」を捨てないその姿に共感もしくは憧憬の念を感じているのではないでしょうか。

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