Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2012年11月26日月曜日

読書『ナショナリズムの歴史と現在』エリック・ホブズボーム著


卒論を書き進めるなかで、今一度ナショナリズムの歴史的経過の系譜をちょっと整理したいと思い手にとった一冊。
ただ、予想していたよりも、思想・イデオロギー視点から語られること多かったです。
筆者のホブズボームがマルクス主義史家ということもあるんですが。

勝利したブルジョワ自由主義の時代、すなわち1830~1880年にかけて、当時のイデオローグたちに考えられていたネイションやネイションーステートについての概念は二つの点で自由主義イデオロギーの一部を成した。 
①ネイションの発展は、疑いなく人類の進化あるいは進歩の一段階、つまり家族から種族へ、地域へ、ネイションへ、そして最終的には未来の統一された世界へと、小集団から大集団へ至る過程の一段階だった。 
Cf. G・ロウズ・ディッキンソン「人類の幼少期に属するナショナリティの障壁は、科学と芸術という光の中で溶解し、分解してしまうだろう」 
⇒かくして自由主義的イデオロギーの見方によれば、ネイションとは、19世紀半ばに進化の過程が到達した段階だったのである。 
⇒より小さな集団や人民がそれ以上の規模のものに同化されるということ 
Cf. フランス革命は「規模の原則」を認めなかった

ナショナリズムの1789年(フランス革命)起源説として
ヨーロッパの発展が一定の水準に達するやいなや、それまで何世紀にもわたって静かに成熟をとげてきた様々な人民の言語的・文化的共同体は、人民が受動的存在として生きていた世界の中から次第にその明確な姿を現すようになる。彼らは、自分たちのことを歴史的運命を背負った一つの力として意識するようになる。彼らは、手に入れることのできる最高の権力行使の道具として、国家を自分たちの思い通りに動かそうとするとともに、政治的自決を獲得しようとする。政治的観念としてのネイションの誕生日にしてこのような新しい意識が生まれた日、それは1789年、つまりフランス革命の年である。 
反帝国主義運動の三つの類型
①教育を受けた現地のエリートがヨーロッパの「民族自決」をまねるケース(たとえばインド) 
②反西欧としての排外主義が大衆に広まっているケース(大衆的排外主義はどんな目的にも役立つもので、広く利用された。たとえば中国の場合に顕著であった) 
③勇敢な部族が当然の怒りに燃えているケース(たとえばモロッコやアラビアの砂漠地帯) 
最後の締めくくりがカッコ良かった
ヘーゲルは、叡智を運ぶミネルヴァのフクロウは夕暮れに飛び立つ、と言った。今やネイションとナショナリズムの周りをミネルヴァのフクロウが旋回しつつあるが、これは願ってもない前触れである。 

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