Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2012年11月16日金曜日

読書『北回帰線』ヘンリー・ミラー著


郷愁(ノスタルジー)と倦怠(アンニュイ)が同居した都市空間パリ。
文脈づけられた個人。
紙面に殴りつけられるように唾棄された性描写。
小説でも、ポエムでも、エッセイでもない。
カオティックな哲学、貪り尽くされる欲情。
「性を神秘だとかなんとか思っているが、それが無だということを発見するわけだーただのブランクさ。そのなかにハーモニカやカレンダーを発見したらおもしろいだろうな。ところが、あすこには何もない... 全然何もない。いやらしいものだよ。おれは頭が狂いだしそうのなった... いいかね、そのあとで、おれがどうしたかわかるかね。早いとこ一発すませると、くるりと背を向けた。本当だよ。おれは本を取り上げて読んだのさ。書物からは、くだらぬ書物からでも何かを得ることができる... しかるに陰部は、こいつは、ただの時間の浪費にしかすぎないよ...」
日常に沈潜する暴力、諍い、セックス。意味をみいだそうとしても虱ほどの価値しかない。 
世界が破裂しても一向意に介さずー依然としてぼくはここでコンマやセミコロンをつけているだろう。おまけに残業手当までもらうこともあるのだ。というのは、大きな事件があると、どうしても最終の特別版にあるからである。世界が爆発し、最終版が印刷にまわされてしまうと、校正係は静かにコンマ、セミコロン、ハイフン、星印、少カッコ、大カッコ、ピリオッド、感嘆符等などを全部集めて、それを編集長の席の上方にある小さな箱に入れる。かくのごとくすべて規定されているのである(コム・サ・トラーテ・レグレ)....
練り上げられた世界。惰性を乗り越えていく。 

パリという街
ここでは、すべての境界は消え、世界は狂える屠殺場としてあらわれてくる。事実、世界はそうなのだ。千編一律の仕事は無限の彼方まで伸び、昇降口はぴたりと閉され、論理は放縦に走り、血なまぐさい肉きり庖丁が閃く。空気はつめたくよどんでいる。言語は黙示的になる。出口を示すものは、どこにもない。死以外は何も起こらない。盲目小路、そのどんづまりは絞首台である。 
永遠の都、パリ!ローマよりも永遠であり、ニネヴェよりも華麗である。まさに世界の臍だ。そこに向かって、盲目のどもりの白痴のごとく、人は四つん這いになって這い戻ってくる。また最後には大洋の真っ只中へ漂いゆくキルク栓のように、人はこの都で落ちつきも希望もなく、かたわらを通りすぎるコロンブスにも気付かずに、海の泡と海藻の中を漂う。この文明の揺籠は世界の腐乱せる下水渠である。悪臭を放つ子宮が肉と骨の血みどろの包みをかくす納骨堂である。
自己と世界の距離感。
もし人が自己の中心にあるあらゆるものを翻訳し、真に自己の経験せるもの、嘘いつわりなき自己の真実を書きしるすだけの勇気があるなら、そのときこそ世界はみじんに砕けるだろうとぼくは考える。
人間は異様な動物(フォーチ)や植物(ウベーナ)をつくっている。遠くから見れば、人間はとるにたらぬ何でもないものに見える。近よるにつれ、醜悪に、悪意にみちたものに見える。何物にもまして、彼らは十分な空間をもってとりかこまれている必要があるー時間よりも空間が必要なのだ。 

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