Each day is a little life: every waking and rising a little birth, every fresh morning a little youth, every going to rest and sleep a little death. - Arthur Schopenhauer

2012年9月11日火曜日

読書『ナショナリズムの力: 多文化共生世界の構想』白川俊介著


先生に薦められた白川俊介さんの『ナショナリズムの力』読みました。
白川さんはまだ29歳なんですね、若い。

タミールの『リベラルなナショナリズムとは』を読んだばかりだったので、内容が滑らかに頭に入ってきました。

今著でもコスモポリタニズムとは一定の距離をおきつつ、リベラリズムの系譜学的変容、ナショナリズムと結びつくまでの道程がわかりやすく論じられています。

骨格としては
リベラル・ナショナリズム論は、リベラル・デモクラシーの理念や政治枠組みがナショナリティに支えられていることを強く自覚し、またそれを積極的に評価する。
「多文化共生」を構想するうえで、ナショナリティ・国民国家・国境線は単に障害でしかなく、乗り越えられるべきものなのだろうか。ナショナリズムと共生は一見すると相反するもののように思われる。だが、ナショナリズムには、リベラル・デモクラシーを下支えし、多文化共生を支える力もある。
リベラル・ナショナリストは、従来のリベラルの想定してきた無属性的な負荷なき自我観および文化中立的国家観を批判し、リベラル・デモクラシーの政治枠組みにはナショナルな文化が不可避的に反映され、そのことによって政治枠組みを安定的なものにし、また個人は、みずからになじみ深い政治枠組みのなかで善き生の構想を自由に探求できるという。 
【「雑居型多文化共生世界の構想」と「棲み分け型多文化共生世界の構想」】
単一のリベラル・デモクラシーの枠組みにおいて人びとが暮らす「雑居型」ではなく、それぞれのナショナルな文化に根ざした、個別的かつ多元的な政治枠組みが構想され、お互いを尊重しながら共存するという「棲み分け型多文化共生世界」の構想が立ち現れてくる。
【「社会構成文化」(societal culture)】 
「公的領域と私的領域の両方を含む人間の活動のすべての範囲ーそこには、社会生活・教育・宗教・余暇・経済生活が含まれるーに渡って、さまざまな有意義な生き方をその成員に提供する文化」であり、この文化は「それぞれが一定の地域にまとまって存在する傾向にあり、そして共有された言語に基づく傾向にある」
【LDのバッテリーとしてのナショナリティ】
社会正義や民主主義などが安定的に機能するためには、当該の政治社会に信頼関係や連帯意識が成立していなければならないということであり、それらは親族・社会階級・宗教・民族などの絆を越えるネイションへの帰属心によってもたらされる。この意味でナショナリティとは、リベラル・デモクラシーの政治枠組みを安定的かつ持続的に起動させるいわば「動力源」である。 
【「非自発的アソシエーション」by マイケル・ウォルツァー】
それは簡単には離脱できないような、一定程度閉じられたものである。「」は構成員をそこから離脱できないように道徳的に束縛する。閉ざされた空間のなかで他者とともに生き、相互に扶助しあうといった社会的協働の基礎を生みだす。ウォルツァーは「交互に支える用意のある相互支援の政治体制がなければ、自由な諸個人からなる政治体制は存在しえないだろう」という。
さいごにアイザイア・バーリンのコスモポリタニズムに対する警句
「所与の共同体に属し、共通の言語、歴史的記憶、習慣、伝統、感情などの解き放ちがたい、また目に見えない絆によってその成員と結ばれることは、飲食、安全や生殖と同様に、人間が基本的に必要とするものである。ある国民が他の国民の制度を理解し、それに共感できるのは、みずからにとってその固有の制度がどんな大きな意味を持っているのかを知っているからにほかならない。コスモポリタニズムは、彼らをもっとも人間らしく、また彼らが彼らたるゆえんを捨て去ってしまうのである」
このタイミングでこの本と巡り会えたことはぼく個人的には大きい。
卒論の核というか、教科書になりそうな本です。 

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